保守政治の在り方

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現在のナショナリズムが、伝統的価値観、即ちこれが保守思想だと彼らが思っているものは、明治維新以降の洋式天皇スタイルを指しているといっても間違いはないでしょう。武士時代に顕在していた天皇の伝統スタイルを破壊したものを保守と呼んでいるようです。即ち京都時代の天皇ではなくて、江戸城が皇居になってからのものを指しているようです。

つまり日本の歴史とは明治からであり、そこからの伝統を守ろうという意味で使われているといっていいでしょう。だから江戸時代の武士道の考え方と、明治以降の武士道について開きがあるのです。しかし自称保守主義者たちは、我こそは倭時代からの日本の伝統を守っているのだと大きな勘違いをしています。

日本の気候・風土に適していた和服をやめ、洋服を着、建物も木造からレンガやコンクリートに変えていきました。エネルギーもバイオから石油へ転換を図ったわけです。

そればかりではなく、人間が自然と調和してきた江戸時代までの経済システム。こうした仏教式輪廻のごとくの自然循環システムをなくして、キリスト教式の一直線の環境システム。廃棄されたらそれが積みあがるような環境汚染社会ができています。

八百万の神々、たくさんの神様がいて、それら全てを認める宗教である神道が江戸時代までは、循環と和の発想にあったと思いますが、現在のナショナリストは、他の考えを排除することとなっています。これはまさに一神教のような考えを取り入れてしまっているため、元来の大和思想ではなくなってきているということです。

西洋のナショナリズムは多様性を認めないというのは、わかりますが、日本の場合、わが国の伝統スタイルからすれば、多様性を認めるというのが我々の遺伝子の中にはあるのだと思います。

したがって現在の日本のナショナリストは、保守にあらず、伝統を守らず、ということが言えるのではないかと思います。

私には江戸時代が決して、停滞している時代とは思えないのです。

勿論、その後の西洋文明を取り入れたことも停滞ではないと思います。しかし、現代においてはこれが停滞しているのだと思います。

今世紀はアジアの時代とはよく言われますが、それは西洋式の経済文明をアジアがやるからだとの意味で使われています。

しかしながら私は、日本であるのならば、江戸時代までに国民が持っていたアイデンティティを呼び起こすべきだと思います。そしてこれこそが保守のあるべき姿であり、これから日本が進むべき方向であると、私は考えます。


保守主義を名乗るものは、神社神道を尊ぶが、彼らの行動自体は、神道の教義とは大きくかけ離れたものとなっています。その教義とはなにかというと、キリスト教のように聖書があるわけではないですね。まさにこの時点で、揉め事を起こさぬことになっているのです。だけれども彼らは、まるで聖書があるかの如く民族主義等を議論しています。

その地域の神社さんは、その地域に住む全員を信徒だとしています。これが理由で日本の宗教信者の総数が日本の人口の倍以上になってしまうわけです。

神社は住民全てを信徒だと考えるという、この時点で西洋とは大きく違う宗教認識があります。共産党議員は、参議院本会議場で天皇陛下に対して敬わぬ態度をします。しかし、選挙のためではあるが、地元の祭りに参加してきます。これこそが神道が求めているものなのでしょう。

日本という国は、その主張がなんであれ政治団体そのものを嫌う風土があります。宗教団体においても同じです。これが日本人として正常なのだと思います。そういうものを嫌いながら、結局は必要だから、選択するのですが、日本人は自民党という、改憲のために作った政党なのに改憲せず、反共のために作った政党なのに社会主義政策を実施するという無イデオロギー政党を支持してきたわけです。

だから今の自民党のあり方は、英米式二大政党制度を取り入れたために、本来の日本人たる政党とはいいがたくなってきているのです。だから安倍晋三前首相というのは、自称保守ではあるが、小泉純一郎元首相に次ぐ保守破壊型政治家なのです。ここで福田康夫内閣というのができました。これは若干、かつての自民党に帰ってきたものになるような気がします。


では同じく保守政党を名乗る民主党はどうかというと、とにかく自民党の逆の政策にしよう、あるいは国民投票法案の問題でも、なんか条件つけて反対しようという、これも保守破壊型政党なのです。


そして彼ら保守二大政党の掲げる経済政策というものは、いずれも自然調和型のものについては二の次という考えを持っています。つまり経済とは別枠でいつも環境問題を論じています。だからそこに一貫性がないのです。あるいは環境問題を財政で解決させようという考えもあります。環境税を財源にして、そのお金で環境問題をとりはかろうとする。自然の問題もお金で解決できると考えています。ここが保守ではないというポイントです。

それともう一つ。
日本には「気」という発想があります。それが波動を発して・・・などと聞くのも嫌な人がいるでしょう。これらを嫌う人たちの中には保守主義を名乗っている人が多くいます。便所を掃除したら商売が上手くいくとも言われています。

現代の科学で考えたならば、こういうものは否定されます。すでに科学で証明されていると言っている人はいますが、それを否定している科学者もいます。

針灸・漢方というものは、やっと世界保健機構で認めるようになりましたが、それは結果から考えて彼らが認めるようになったのです。でも彼らの認識はまだハッキリとしていないところがあって、このツボはこれに効くということをいまだ確定しておりません。

日本の自称保守という人たちは、こういうものを認めない傾向が強いです。それは彼らが舶来こそ正しいものだという考えが内在しているからです。西洋科学に依存しているからです。しかし、自覚がないために自分は保守だと勘違いしているのです。自称保守主義者たちの言う国家論とは、大和時代から考えられているクニの発想ではなくて、西洋の政治学を持ち込んだものを国家と彼らは呼びます。

日本人がもともと持っていた自然と共存する多くの智慧。こうしたものよりも、征服型西洋科学の方が正しいと思っていますので、日本古来の伝統を実は否定しているのです。白人と並ぶことが尊いことだと思っている。だから日本はアジアにいながら、アジアを見下す態度をする人が多いのです。だからこれらは保守主義とは到底いいがたい。

とくに西洋発祥の資本主義経済あるいは社会主義経済というのは、自然界の法則に全く逆行した造りになっています。であるのに、資本主義経済を肯定しながら、彼らは靖国神社を称えるという大きな矛盾行為をしているのです。

したがって平和党は、経済が自然界の法則により近くなるように、通貨が時間とともに減価する制度を提唱しているわけです。そしてその市場で取引されるものも、自然万物を尊ぶ仕組みが用意されているのです。そこでは江戸時代の循環型システムの近未来版がなされるわけです。

当初は和洋折衷できたものが、まさにオールフローリング時代を迎えようとしています。西洋一辺倒です。これを日本式の多様性を認めるものに戻したほうがいいということです。そしてその主軸が、明治維新のときに忘れ去られた多くのものです。

自称保守主義者は、いずれも日本国伝統の中の一つの考え方ではあるが、非常に狭いごく一部のところだけを取り立てているわけです。だから全体を指していない。山の中にこういう木もあっていいが、あくまでも木であって森ではないということです。

とくに小沢一郎民主党代表の言う「普通の国」とは、地球上でみたらごく少ない西洋資本主義を発達させた「先進国」・・・・を指しています。竹村健一氏の言う「世界の常識・日本の非常識」というのも、まさに「世界の常識イコール西洋近代国家の常識」ということです。自然と調和した自給自足の生活を送っているような国は普通の国ではないということです。

平和党は、現代の資本主義によって達成された科学技術を維持しながら、自然主義経済によって、民間の力によって食料とエネルギーを完全自給することを説いています。

今世紀における時代の変革とは、こうした超保守経済を達成する事です。これを温故知新からとって温故保守とでも言うべきものを実践したいと思います。それが真のアジア時代だと呼ばれるようになるでしょう。


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太陽光発電と自然主義経済

自然主義経済にわざわざしなくても、現状の資本主義の段階で太陽光発電をするのは、コストが安いことがよくわかった。なんでみんなやらないのかね。愚かとしかいいようがない。

家電みたいに、あきらかに今すぐ自分の役に立つものだと買いたがるのに、長期的にとくをすることまで考えられない人々が多いんだろうな。

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